犬派は犬に愛情の見返りを求めてる?

ある猫好きの友人に言われたことが

あります。

 

「犬派が犬を好きなのは愛情を返し

てくれるからでしょ。それって見返

り求めてるってことじゃない?私は

見返りなくても猫愛せるけどね」…と。

 

見返り…

 

そんな言葉で人の愛情を表現するのか

とその時は正直ビックリしてしまい

 

咄嗟に返す言葉が浮かばず

もやもやしました。

 

なので

 

ここでちょっと反論して

スッキリしたいと思います。

 

 

見返り…だったとして

それの何がいけないのでしょうか?

 

人と人とのつながりでも

心のキャッチボールを繰り返すことで

絆を深めていきますよね

 

そのキャッチボールはボールを

返してもらわないと成立しません

 

それは飼い主と犬の場合も同じです。

 

特に犬は人に寄り添ってきた歴史が長く

人に近い愛情表現をします。

 

飼い主が与えた愛情を犬側が愛情と

とらえた場合、きっちりそれに見合った

愛情を返してくれます。

 

まちがった愛情であれば

犬は返しません。

 

一方、友人についてですが

 

愛猫が愛情を返さないのであれば

友人が猫にかけてる愛情を猫が愛情と

受け取っているかどうか

どう判断するのでしょうか?

 

一方的な独りよがりの愛情に

なっていませんか?

 

愛情は返してもらってなんぼです。

返してもらえるか、そうでないかで

自分の相手にかけた愛情が正しかったか

どうかがわかるんです。

 

だから見返りを求めることは

悪いことではないんです。

 

何かを大切に想う気持ちは尊いとは

思いますが、ただひたすら愛情はかければ

いい…というものでもないと思うんですよね。

 

それとね

 

愛情を返してくれなくても一途な愛情を

向けることができる!と主張するのであれば

 

その相手は猫でなくてもいいのでは?

犬でも鳥でもウサギでも蛇でも虫でも

愛せるはずです。

 

でもその友人は「猫」が好きなんですよね。

 

愛情を返してくれないその子を好きでいられる

理由はなんでしょうか?

 

見た目や仕草、持ち前の性格が

好きなだけではないでしょうか?

 

愛情で結ばれるというのは

その表面的なところを超えた

関係性をいいます。

 

私は愛犬が好きです。

もともと犬好きです。

でも「犬好き」であることは愛犬と出会う

きっかけでしかありません。

今、愛犬が猫になろうと蛇になろうと

愛し抜く自信があり、この先

もっともっと絆を深めていくと思います。

 

まぁこれは犬好きだけのことではなく

世の中、犬と同じく飼い主大好きな

猫もたくさんいます。

愛情をたっぷり返してくれる猫を知ってます。

その飼い主さんはとっても幸せそうですよ。

 

おそらく残念ながらその友人の愛猫は

友人に懐いていないのでしょう。

 

それが寂しくて私に「見返り」などと

いう表現でマウントとってきたのかも

しれませんね。

 

友人の話は以上です。

 

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最後に余談を少しだけ…

 

これは人間同士の話になりますが

 

一方的な愛情は相手をないがしろに

している可能性もありますよね。

 

「私が好きなんだから好きなんだ」です。

 

相手に好かれていなくてもひたすら

一途な思いを寄せる…。

 

一見素晴らしい愛情に見えます。

 

でも、それってストーカーと何が

違うのかな?って思う。

 

相手はこちらを好きじゃないのに

「好き好き」と迫られたら迷惑では

ないでしょうか?

相手の気持ちをないがしろにしてる

ことになりませんか?

 

本当に相手を愛しているのなら

その人から離れてあげる…

 

それも愛情ですよね

 

自分が与えた分の愛情を返してもらえる

相手を選ぶのは思いやりでもあり

理にかなってると私は思います。